大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和48年(ネ)808号 判決

控訴人

右代表者

法務大臣

稲葉修

右訴訟代理人

笠松義資

右指定代理人

高橋欣一

外三名

被控訴人

金森タツエ

外五名

以上六名訴訟代理人

岩田喜好

外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人らは、本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする、との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人は当審において、

(一)  国家賠償法(以下国賠法と略記する。)一条による国の賠償責任の根拠については、代位責任説、自己責任説、その他の見解があるが、代位責任説によつてもまた自己責任説によつても、その責任発生の根拠は、あくまでも自然人としてのある公務員の違法行為であり、右両説の差異は、当該行為をした公務員の義務違反に対する主観的認識のいかんを問うか否かだけである。自己責任説といえども、原判決の言うような、ある公務員の行為を離れて、職分、権限の全く異なる数種の公務員の職務行為の集積によつて構成される「刑罰権の実行」というような包括的、抽象的な国の行為を、損害賠償責任発生の根拠となる「行為」として認めようとするものでは決してない。およそこのような考え方をするならば行為概念はとらえどころがなくなつてしまい、国賠法一条の文理からも著るしくかけはなれたものとならざるをえない。

原判決は自己責任説をよりどころとしながら右のとおり行為の概念について独自の誤つた法律解釈をした結果国賠法附則六項及び除斥期間の満了につき誤つた法律判断をしたものというべきである。

(二)  本件で問題とされている不法行為は、原判決の時点より約三〇年余り以前に当時日本の統治下にあつた朝鮮釜山府において発生した放火事件について当時の朝鮮総督府の各裁判所で言渡された第二審及び上告審刑事判決であるが、第二審判決書の写があるほかは訴訟記録が一切現存しないという特殊な事情にある。なるほど、本件で証拠として提出された刑事の再審手続における証人の尋問調書等によれば、右放火事件についての捜査、予審、公判段階での各状況、ならびに右事件の有罪判決の基礎となつた証拠資料の標目とその概要について或る程度知ることはできる。

しかしながら、刑事の再審手続において、後日明らかになつた証拠からさきの判決が客観的真実に反していると判断されるときは、さきの判決が覆えされるのは当然であるとしても、国家賠償請求事件において、さきの判決をした裁判官の過失の有無を認定すべき場合には、あくまでもその判決がなされた時点を基準として、当時裁判官が認識し、あるいは認識しえた資料、状況のもとで職務上要求される注意義務の違反があつたか否かを判断すべきものである。後日明らかになつた証拠によつて認定される事実は間接事実にすぎない。しかし本件のように当時の事実認定に供された裁判資料が全く残存しない場合には、いきおい右の間接事実に頼らざるをえないこととなるが、それが間接事実であることをわきまえてその判断には極めて慎重を期すべきである。本件における如く前記各刑事判決がなされてから刑事再審手続における証人の供述がなされる時点までの間に二五年以上にも及ぶ長い年月が経過しており、しかもその間きわめて初期の段階において放火の真犯人と目される干文柱が出現したという顕著な事情の変化が起つているなどして、右証人の記憶が或る事項について明らかでなく、あるいはかなりの変容を来している疑いが容易に窺われる場合においては、なおさらのことである。

原判決は右の間接事実に基づいて本件各刑事判決当時の事実認定に供された裁判資料を推認したのであるが、その推認の論拠はきわめて薄弱であるといわざるをえず、また、過失の認定に当り刑事再審段階で明らかにされた諸事情、たとえば被告人金森健士が捜査官に自白するに至つた経緯、放火の動機の点に関する各証人の供述内容(それは本件刑事各判決の証拠となつた同人らの供述内容と合致するといえるであろうか。)を加味しんしやくし過ぎているきらいがある。

原判決は要するに、本件各刑事判決をした裁判官の過失の有無を判断するに当り、それに供された証拠資料を認定するについて、後日明らかとなつた間接事実より慎重に推認することを怠り、むしろ間接事実そのものに依存し、当時存在した本件各刑事判決の根拠たる証拠の内容との対比をあいまいにし、ひいて過失の判断を誤つたといわざるをえないと述べ、

(三)  立証〈略〉

二、被控訴人らは、原判決の法律上の見解及び事実認定は正当であり、これに反する控訴人の右法律上、事実上の主張は採るに足らないと述べ、立証〈略〉

理由

一原判決記載請求原因1(一)事実は〈証拠〉によつて認められる。(但し主張の日時に主張の場所より出火したことは当事者間に争いがない。)

二右火災につき金森健士は放火容疑で釜山警察署に逮捕され、釜山地方法院検事局に送致され、昭和一六年一二月一〇日に釜山地方法院に建造物放火の罪名をもつて起訴され、予審手続を経て公判に付され、昭和一七年六月三〇日同法院において右公訴事実につき有罪の判決を受け、即日大邱覆審法院に控訴の申立をしたが、同年八月二一日同法院において被控訴人ら主張の判決理由(原判決三枚目裏一一行目より四枚目表一〇行目まで)で懲役一五年に処せられ、即日京城高等法院に上告の申立をしたが、同年一〇月二六日上告を棄却された結果、右第二審判決が確定し、即日刑の執行を受け始め、大邱、京城、大田、釜山各刑務所を転々とし、終戦後福岡、熊本各刑務所に移監され、昭和二二年一一月二四日仮釈放により熊本刑務所を出所し、昭和三二年一〇月二五日刑期満了によりその刑の執行を受け終つたこと。金森健士はその後、自己の無実を訴え、弁護士岩田喜好に依頼し昭和四二年二月二八日最高裁判所から大阪高等裁判所に再審請求についての管轄指定を受けたうえ、同年三月一五日、同裁判所に再審請求をし、同裁判所第四刑事部において、昭和四四年六、月二八日、その請求を理由ありとして再審開始決定がなされ、右決定は同年七月二日確定した。ついで同裁判所は再審請求について審理をしたうえ昭和四五年一月二八日、金森健士に対し、本件放火の公訴事実につき無罪判決の言渡しをなし、その判決が確定(刑事訴訟法施行法第二条、旧刑事訴訟法第四一八条第八一条により確定日は同年二月三日)したことは当事者間に争いがない。

三そこで、被控訴人らの本件国家賠償請求について考察する。

本件刑事第二審判決は、大邱覆審法院刑事第一部を構成する裁判長朝鮮総督府判事安田重雄、同判事塚本富士男及び同判事岡村龍鎬の三名によつて合議され言渡されたものであり、本件刑事上告審判決はこれを担当した構成員の氏名が明らかではないが、朝鮮総督府判事数名の合議によつてなされたものであること、大邱覆審法院、京城高等法院及び各朝鮮総督府判事は朝鮮総督府裁判所令によつて定められた裁判所であり裁判官であるが、右各法院が日本の統治権に基づく日本の通常裁判所であり、右各裁判官が日本の統治権に基づく司法権の行使に当る公務員であつたこと、右各判決は右各裁判官らがその職務としてなしたものであることは当事者間に争いがない。

四控訴人は、本件について国賠法の適用を否定し、仮に適用されるとしてもその請求権につき除斥期間が経過している旨主張するので、これについて検討する。

(国賠法の適用について)

(一)  国賠法附則六項との関係について。

同法は昭和二二年一〇月二七日に公布、即日施行されたが、同法附則六項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と定めている。この趣旨は、同法施行前においては公権力の行使に関しては、民法の不法行為の規定の適用はなく、その他一般的に国又は公共団体に賠償責任を認める法令上の根拠がなかつた(昭和二二年五月三日施行の現行憲法一七条は、いわゆる綱領的規定と解される。)ため、国又は公共団体は賠償責任を負わないものとされてきた。その経緯から同法施行前になされた公務員の公権力行使による不法行為については、その損害が同法施行後に生じたときでも、被害者は国又は公共団体に対して損害賠償の請求をなし得ない、即ち同法の適用のないことを定めたものである。

そこで控訴人は、本件第二審及び上告審の各刑事判決の宣告は、いずれも同法施行前になされた行為であり、それによる刑の執行が同法施行後にも及び損害が生じても、その損害は同法施行前の行為に基づくものに外ならないから、右附則の定めのとおり右刑事判決の違法を理由とする被控訴人ら主張の損害を同法により賠償請求することはできないと主張する。

ところで、被控訴人らが本訴において主張するところは、裁判が違法行為であるのみならず、その裁判による刑の執行も違法行為であるとしてその責任を問うというものである。従つて附則六項の適用に関し、国賠法施行前に宣告された本件各刑事判決及び施行前に経過した刑の執行は「施行前の行為」に当るとして、それによる損害の賠償は求められないと解すべきであるが、施行後に及んでいる刑の執行について同法が適用されないとする理由はない。けだし、刑の執行は裁判により確定された刑罰の実現であるが、刑の執行が裁判を原因とするその結果に過ぎないと解することは明らかに誤りであり、刑の執行が国の公務員による職務行為であることは縷説をまたないところであるから、それが同法一条の対象とする有責、違法なものであるかは別として、同法施行後に及んで為された刑の執行が附則六項の解釈上国賠法の適用のないものであると解することはできない。

(二)  国賠法一条との関係について。

そこで裁判に違法があるとした場合その刑の執行を不法行為とする損害賠償の請求について同法一条の適用を考察する。

刑事裁判による刑罰の確定及びその刑の執行は、国家刑罰権の実現であつて、この目的に指向する本来一体たるべき行為であるが、制度として異なる国家機関に分掌せしめ、刑の執行は刑事裁判において確定された刑罰の実現を自己目的とする制度がとられている。従つて刑罰の確定の過程における事実認定や法令の解釈適用の誤りにより違法な刑事裁判がなされたときは、その刑の執行も亦違法というべきであることは多言を要しない。そして刑の執行の違法が刑事裁判の違法に由来する以上、国賠法一条の定める「公務員」の故意過失は、違法な裁判をするについての故意過失であるから、刑の執行機関たる公務員について問題とすべきでないことは言うまでもなく、違法な裁判をした裁判官について故意過失の有無が問われるべきであつて、これを措いて他に存しない。即ち、違法な裁判に基づく刑の執行を受けたことによる損害賠償の請求は、刑の執行が違法であること(刑の執行を受けたこと、その基本たる刑事裁判が違法であること。)及びその刑事裁判をした裁判管の故意、過失を主張、立証すれば足ると解すべきである。刑罰権の実現に関し裁判と執行とを異なる機関に分掌せしめ、執行機関にただ執行の基本となる裁判内容を実行することのみを分担させる制度をとつている以上、かように解しなければ、裁判が違法であるが故に違法性を帯びる執行々為を不法行為としてなす国家賠償請求は途をとざされることになる。国賠法一条の解釈として、裁判と執行との関連をこのように把握することは、憲法一七条及びこれを旨として制定された国賠法が、公務員の公務執行に関する不法行為により損害を受けた被害者をひろく救済しようとする趣旨に合するものということができる。そして国賠法一条の賠償責任の性質についてどのような見解に立つかに拘らず同条は右のように解釈すべきものと考える。

(三)  以上のとおり、国賠法施行日の昭和二二年一〇月二七日前の行為である本件第二審及び上告審の各刑事判決の宣告並びに同日前に経過した刑の執行は同法附則六項の定めにより同法一条の適用がないといわねばならないが、右執行日より金森健士が仮釈放となり熊本刑務所より出所した前記同年一一月二四日、更に刑期満了日の昭和三二年一〇月二五日までの間の執行々為については、前記故意、過失及び違法が認められる限りそれにより生じた損害を同法一条により賠償請求しうるものである。

(除斥期間について。)

前項のとおり本件においては賠償請求の可能な昭和二二年一〇月二七日より昭和三二年一〇月二五日までの間の刑の執行々為に対する損害賠償請求権が問題となるのであるが、本件に適用される民法七二四条の除斥期間に関しては、対象となる右期間に亘る継続的行為のうち本件訴状が送達された昭和四六年二月二日より遡つて二〇年以前については除斥期間の満了していることを承認しなければならない。しかしながら、前記再審の無罪判決の確定によつて本件各刑事判決が覆えされるに至るまでは、本件各刑事判決に関与した各裁判官の過失を主張して右刑事判決の正当性を否定することは、民事訟訴手続においても許されるところではなく、本件損害賠償請求権の行使は権利者の主観的個人的事情を離れて、客観的にいわば制度的に行使を妨げる事情が存在したと言うべきである。そして損害賠償請求権は法律上不法行為の時より発生し存在するが、再審の無罪判決確定までは先の有罪判決を違法とし得ず、有罪判決の宣告、それによる刑の執行を違法とする国家賠償請求権を行使するには再審の無罪判決の確定を俟たなければならず、そして再審の請求には期間の定めはなく、再審の事由によつてはその事由発生の証明自体に長期間を要し、更に再審無罪判決の確定を見るまでに長年月を要することは考えられるところであるから、かような長年月の後、再審による無罪の判決を得た者が、原刑事判決に関与した裁判官の過失を理由として、原刑事判決の執行により被つた損害につき国家賠償を求めんとするに当つて、既往の行為より除斥期間の進行があるものとして、時に当然救済されるべき請求権が否定される結果を見ることは、憲法一七条、これをうけて定められた国家賠償法の趣旨よりして是認し得ないのみならず、有罪の刑事確定判決を違法とする国家賠償請求権の行使を妨げる前記事情よりすれば、民法七二四条の解釈として、再審の無罪判決の確定までは除斥期間は進行しないものと解することも可能であり、本件の場合除斥期間の進行は再審無罪判決が確定した昭和四五年二月三日まで進行しないものと解すべきであるから、前記のとおり昭和四六年二月二日に訴訟が繋属した本件国家賠償請求権については除斥期間が満了していないことが明らかである。

五過失及び違法について

被控訴人らは、本件再審刑事判決の結果によつても明らかなとおり、金森健士は本件公訴事実について無実であるにかかわらず、有罪とする本件各刑事判決がなされたのは、裁判官が審理に当つて事実を誤認したからであり、その誤認には過失があり、違法たるを免れないと主張する。

刑事々件において、下級裁判所の有罪判決が上級裁判所の無罪判決によつて取消され、あるいは再審の無罪の確定判決によりさきの有罪の確定判決が覆えされるときは、その公訴事実についての公権的終局的判断は無罪であり、これに反する有罪判決は客観的結果的には正当性を失い違法といわざるをえない。これは訴訟における審級制度等から導かれる当然の結果である。実体的真実発見のために証拠の採否、取捨選択、証拠の評価による事実認定が裁判官の自由心証に委ねられている法制のもとでは、事実認定について裁判官によつて相違の生ずることはさけがたいところである。国賠法一条にいう違法は、右のような判断の相違による結果的な違法ではなく、同条が国または公共団体による公権力行使についても不法行為責任を設けた趣旨よりして、裁判官が事実認定に当つて経験則、採証の法則を著るしく逸脱し、通常の裁判官であれば当時の資料、状況のもとでそのような事実認定をしなかつたであろうと考えられるような過誤をおかした場合に限ると解するのが相当である。

そこで、本件において右のような違法があつたかについて判断しなければならない。事実認定に前記のような違法な誤りがあつたか否かを考察するには、その判決がなされた時点において、当時裁判官が認識し、あるいは認識しえた資料、状況に基づき、且つそれに限定し検討さるべきであることはいうまでもない。ところで、金森健士は再審により無罪となつたのであるが、その再審理由は、成立に争いのない甲第四号証によれば、旧刑訴法四八五条六号の「明確なる証拠を新に発見したるとき」に該当し、その新たな事実と言うのは「金森健士が服役中の昭和一八年一二月頃、中国人干文柱(または禹文柱)なる者が国防保安法違反等で釜山憲兵分隊に検挙され、翌一九年四月頃釜山地方法院検事局検事長谷川寛が干文柱を本件朝鮮製綱工場に対する放火と全く同一の放火事件を含む数件の事実につき起訴して予審を請求し、前に金森健士の事件につき予審の取調に当つた同地方法院予審判事松田伝治が朝鮮製綱工場に対する放火の事実を含め予審終結決定をして同地方法院の公判に付したが、終戦のためその後の処理が不明であるとの事実が判明した。」(この事実は当裁判所も〈証拠〉により認める)と言うのであつて、その無罪となつた根拠は、本件刑事第二審判決後に判明した事実や資料等に基づくものであることが認められ、前記説示のとおり、このような事実や資料は、右刑事第二審判決当時明らかでなかつたのであるから、本件各刑事判決の事実誤認の違法の有無を審理する本件に於ては資料となしえないことは言うまでもなく、一方、本件各刑事判決は昭和一七年になされた三〇数年以前のことであり、場所的にも当時日本の統治下にあつた朝鮮の裁判所で審理されたものであつて、終戦後韓国の独立にともなつて裁判記録の保管も日本の手を離れ、今では調査しても記録を発見することができず、わずかに、金森健士が終戦後在監した熊本刑務所保管の金森健士の身分帖簿一冊(大邱覆審法院刑事判決謄本、視察表、刑執行に関する書類等を編綴)が存在するに過ぎず、本件各刑事判決をなすについて資料とした証拠そのものは皆無であるという特殊な事情にあることが窺える。

右のとおりで、いま本件各刑事判決に事実誤認の違法の有無を判断しようとするに当つて、必要とする当時の訴訟資料は全く存在せず、前示のとおり不要で、むしろ右判断のためには判断資料に混入することがあつてはならない刑事再審理由となつた新証拠が存在し、右判断の資料を把握することの困難に逢着する。

そこで本件刑事第二審判決、及び上告審判決当時、当該公判廷に蒐集提出されたと認められる証拠に基づいてなした右判決の判断につき検討する。

(第二審判決について)

(一)(1)  刑事第二審判決当時左記のものが証拠として存在していたであろうことは当事者間に争いがない。

(イ) 金森健士の妻である被控訴人金森タツエの予審判事に対する供述調書、

(ロ) 関係人の予審判事に対する供述調書、

(ハ) 捜査官による実況見分調書、

(ニ) 予審判事の検証調書、

(ホ) 日本帆布の女子工員二名ないし四名の捜査官に対する供述調書、

(ヘ) 同予審判事に対する供述調書、

(ト) 金森健士の捜査官に対する供述録取調書、

(チ) 同予審判事に対する供述録取調書、

(リ) 第一審公判調書中の金森健士の供述記載、

そして〈証拠〉によれば、(ヌ)燐寸その他の証拠物(証第三号が燐寸であるが第一、二号が何かは不明)が存在していたことが認められる。

(2)  刑事第二審判決が公訴事実につき有罪を認定するために採用した証拠は、そのうちに右(ヘ)、(チ)、(リ)があつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば更に右(ヌ)があつたことが認められ、また刑事第二審判決が有罪認定の証拠として挙示するのに、被告人の第一審公判廷における供述を、原審公判調書中の供述記載と訂正した外はすべて原審判決の証拠を引用し、被告人の第二審公判廷における供述を掲げておらず、また証人について右同様の訂正がなされていないことが認められ、このことからすれば、有罪認定の証拠として第一審において証人の証言が存在しなかつたこと及び金森健士は第二審において公訴事実のすべてを否認していたことが推認され、これらの事実と当時の金森健士の公訴事実の審理について、明治四四年法律三〇号、同四五年制令一一号(朝鮮刑事令)により、適用があつた旧刑事訴訟法三四三条一項が、被告人及びその他の者の警察官、検事に対する供述を録取した書類は供述者の死亡、病気等による尋問の不能、訴訟関係人に異議のないときの外は原則として証拠とすることができないと定めていたこと、第一審において右のとおり証人尋問を行うことなく有罪判決をしたこと及び〈証拠〉を総合すれば前記(イ)、(ハ)、(ニ)が証拠として公判に提出されていたであろうことが推認される外当時予審判事として釜山地方法院で金森健士の右被告事件の予審手続を担当した予審判事松田伝治は公訴事実に氏名が出てくる小路梅市、小西由之助、坪金等を含め工場関係職員多数を取調べ前記(ロ)の供述調書を作成し、それらが証拠として公判に提出されていたであろうことが推認される。そして、場合によつて訴訟関係人が異議を述べなかつたとすれば、右の外に前記(ホ)、(ト)あるいはその他の関係人の捜査官に対する供述調書も公判に提出されていたと考えられ、本件刑事第二審判決の資料として以上各証拠が供されていたものということができる。

(3)  右提出された各証拠の内容について考察するに、

1 前記(イ)は犯行の動機に関するものとして金森健士の妻の被控訴人金森タツエの「事件当日金森健士と夫婦げんかをした」旨の内容であること、(ヘ)は女子工員らの「事件当夜、正門を入つた構内中央の朝鮮製綱工場の入口の反対側にある製品倉庫の前あたりに立つていたとき、その朝鮮製綱の入口から中へ入ろうとする国民服を着た男の人の後姿を見た。その後姿が金森健士に似ていたので、金森健士は今時分なんであんなところに入るんだろうかと思つた。」旨の内容であること、及び(ト)、(チ)がいずれも公訴事実に符合する犯行の動機、顛末についての自白調書であつたことは当事者間に争いがない。

2 〈証拠〉によれば、当時の釜山地方法院予審判事松田伝治は、予審手続において被告人金森健士に対し公訴事実につき尋問したところ、金森健士はその犯行の動機及び実行々為を任意に自白し、同判事の行つた現場検証に際しても金森健士は犯行の方法を現地で具体的に指示して供述し、その内容は金森健士が警察、検事局において自白していたところと同一であつた外、関係人として警察官、検事の取調べを受けた人々につき予審において再度取調べたところ、日本帆布の女子工員らよりは前記のような金森健士に似た者が朝鮮製綱の入口から工場内に入つたのを目撃したとの供述があり、犯行の動機に関しては小路梅市、小西由之助、坪金らより公訴事実記載の動機に照応するような供述がなされ、金森健士の妻の被控訴人金森タツエの供述からは、小路梅市に文句を言われた金森健士は立腹して妻にあたり、妻の頭髪を引つぱり妻の肩に足をかけ後ろへそりかえるような乱暴をした事実をききとり、金森健士が短気者で興奮すると何をするか判らない異常さがあるとの印象を同判事は受け、以上取調べた各証拠により犯行の動機並びに犯行のすべてについて犯罪の嫌疑は充分であると確信して公訴事実と同一内容の事実につき公判に付する旨の予審終結決定をなしたことが認められるから、前記(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各証拠はいずれも公訴事実に照応する内容のものであつたことが推認できる。

(4)  もつとも右乙第二、三号証(刑事再審における証人松田伝治の調書)のうちには、予審判事松田伝治は、予審において被告人金森健士を尋問する際、金森健士は犯行を否認し、警察官や検事の取調べに対しても被疑事実を否認したが、きき入れてもらえないので、やむなく犯行を認める供述をしたのであると述べていたような気がする、従つて予審での検証に当つても犯行を否認している金森健士が現地で犯行の方法を具体的に指示する等のことはありえないことで、検証は金森健士が警察等で実況見分したときに自白していた供述をもとに実施したように思う。との前認定と異なる趣旨の供述部分が見受けられる。

しかしながら、この点については長年月の経過による記憶の消失と同証人が予審判事として前記のとおり金森健士と同一事実を含む干文柱に対する予審事件を担当し二重の起訴として特に入念に取調べたうえ犯罪の嫌疑充分として公判に付する旨の予審終結決定をなし、金森健士よりも干文柱が真犯人ではないかとの疑念を強めていた等の事情に左右されたことによるものと思われるが、〈証拠〉によれば、昭和一九年八月七日松田予審判事が刑務所に服役中の金森健士に対し尋問した内容を看守が記録したうちに、「問、京城刑務所において国防保安法違反の事件(干文柱に対する)につき証人として尋問せられたることありや。答、相違ありません。問、その際牧之島放火(本件放火のこと)に対し否定しているが間違なきや。答、間違ありません。問、然し警察署、検事廷、予審廷でも認めておるがどうか。答、公判廷において真実に申上げる心算で、その強制的なる尋問に堪えかねて申したもので真実でありません。問、さようならば何故予審廷においては真実に申さんのか。答、警察署、検事廷、予審廷は互に連絡あるものと思いて申しません。」との記載があることが認められ、これによれば金森健士が当時予審判事松田伝治に対しても公訴事実につき警察官、検事に対してなしたと同様に自白をしていたものということができ、右乙第二、三号証中の否認していたように思うとの部分が根拠のないものであることが知られる。

(5)  〈証拠〉中には、金森健士は警察、検事局、予審を通じ現場検証に立会つたことなく、従つて現場での犯行の指示説明をしたことはない、予審判事に対しても犯行を否認し通した旨の金森健士の供述記載部分があるが、前記証拠と対比し措信できない。

(二)(1)  前記のとおり金森健士は第二審の大邱覆審法院の公判においては公訴事実を全面的に否認していた。(一)の(2)で説示した通り本件刑事第二審判決が有罪認定の証拠として「被告人の原審公判調書中の供述記載」と訂正して原審公判における被告人金森健士の供述を引用しているところより見れば、金森健士が第一審の釜山地方法院において公訴事実の全部を認める供述をしていたとも考えられるが、乙第一号証によれば、金森健士は第一審において犯行を否認していたことが窺えるので、右供述は動機についてのもので、犯行については否認していたとも考えられる。そしてその否認の供述の具体的内容がどうであつたかは前記のとおり当時の訴訟資料が存在せず確知しえない。しかし再審における被告人金森健士の供述調書である乙第一号証には、次のとおり供述記載がある。

金森健士は昭和一六年九月二九日より風邪をひいて工場(日本帆布)を休んでいたが、一〇月二日夜勤すべく午後五時に工場へ入つた。ところが交替する小西由之助がまだいたので金森健士は事務所へ行きそこで近々催す職工運動会の準備にかかつていた。九時三〇分に職工の休憩合図の鐘をならしに工場へ入り、それをすましてまた事務所へもどり引きつづいて運動会の準備をした。当時事務所には、平畑、芝、朝鮮人の事務員一人、一八、九才位の日本人の事務員等皆で七、八人程いた。そこへ小路梅市が来て、もう帰るから工場のあとを頼む、と言い置いて帰つた。午後九時四五分となつたので休憩終了の合図の鐘をならしに工場へ行く。ならし終つて事務室へもどり机上を整頓していると二階から松村正治が火事だと知らせにきた。金森健士は表へ出て消防にかかろうとしていると、芝が工場内の女工達を避難させねばいけないと言うので、金森健士は工場へ入り女工を誘導して事務所に隣接する金森健士の社宅より社外へ出した。それから金森健士が同人の社宅へ引きかえすと、妻タツエが荷物はみな出してもらつたと言うので、金森健士は日本帆布の工場へ入つた。工場内は糸くづや綿ぼこりに引火し甚だ危険な状態で朝鮮製綱より日本帆布へ延焼しそうであつた。火元はどこか判らない。それより先の金森健士が事務所にいて松村より火事の知らせを受ける前頃に金森健士は事務所の前の柵を飛越えて小門より立去つた頭髪をのばし国防色の服と帽子をかぶつた男を目撃した。警察でも公判においても右目撃したことを言つたが、とりあげてくれなかつた。

仮に、金森健士の公判における否認の内容が右のとおりであつたとしても、金森健士の出火前後の挙動が右のとおりであつたとすれば、松村、芝、その他誘導されて退去した多数の女工らや金森健士の妻タツエ等の右関係人による右と符合する供述があるべきものと考えられる。前述のとおり訴訟記録が存在しないのであるから、当時そのような供述が証拠として存在しなかつたと断定することはできないが、〈証拠〉によれば、火災を告げて廻つた松村正治には火災の当時事務所で金森健士の姿を認めたとの記憶がなく、妻タツエは出火後同人らの社宅を通つて夫健士が女工達を工場外へ誘導して避難せしめたとか、あるいは火災中に夫健士と出会つたとは述べておらず、予審判事松田伝治も取調中に関係人より金森健士の火災当時の挙動につき右と符合する供述を受けた様子が窺われないこと、予審判事松田伝治が金森健士より、出火前に事務所前の柵を飛越えて小門より立去つた男を見たと聞いたのは、同判事が二重起訴の干文柱の予審を担当して刑務所に服役中の金森健士を取調べた際のことであつて、金森健士の予審事件の係属中ではなかつたことが認められる。のみならず日本帆布の女子工員数名の金森健士に似た後姿の男が朝鮮製綱の入口から工場内へ入つて行くのを目撃したとの供述が証拠として存在していたこと前記のとおりである。

金森健士の公判における否認が、前記のような具体的内容のものであつたか、そのことすら明らかでないが、仮にそのとおりであつたとしても、右のとおり金森健士の出火当時の挙動について金森健士の供述を裏付けるようなものが存在したとは思われない。

(2)  〈証拠〉によれば、公訴事実において犯行の動機としている金森健士と小路梅市との間の不仲、職工出勤簿の取扱者の変更、職工運動会の準備をしていた金森健士に対する小路の注意等の点について、さような事実はなかつたとか、あるいは小路の金森健士に対する注意は激怒して犯行を決意せしめるほどのものではなかつたとの本件刑事再審手続における関係人の供述記載が見られるが、この点については断片的ではあるが、乙第一号証及び甲第八号証中の金森健士の供述記載部分によれば、小路梅市は日本帆布の金月貴なる女工を妾としていたこと、女工は二交替制に従つて朝又は夜出勤し、出勤時には工場入口のタイムレコーダを押すが、その後の就業状態は四〇人余りの女工の監督として金森健士と小西由之助とがそれぞれ担当の女工の出勤簿を持つていて月末にはその出勤簿を会計に提出しそれによつて職工の給料が払われるのであること、タイムレコーダのみでは出勤後の就業状況が正確に判らず、職工の稼働によつて生産をあげている会社にとつては出勤簿は大切なものであること、本件出火当夜小路は事務所に居た金森健士に対して、「そんな所に幹部が残つていることはいかん。」と注意を与えたことが認められるほか、後述のとおりその真偽は別として公訴事実記載の如き事実を動機として捜査官に告げたのはほかならぬ金森健士自身であり、第一審の釜山地方法院の公判に於ても犯行は否認したとしても、この動機たる事実のあつたことを金森健士が認めていたと解されることは前記のとおりであるから、これらの事実と金森健士の供述以外に公訴事実記載の動機についてこれと照応する証拠として前記小路梅市、小西由之助らの予審判事に対する供述調書が存在したと認められる本件では、本件各刑事判決当時の証拠として、公訴事実記載の動機に反する、あるいはその認定の妨げとなる内容の証拠が存在していたとは推認しえない。

(3)  ところで〈証拠〉によれば、本件火災の翌日金森健士は釜山警察署に逮捕されたが、逮捕されたのは金森健士のみではなく、朝鮮製綱の工場長小川喜一郎、前岡製綱株式会社社長前岡英明、朝鮮製綱株式会社社長毛利一男、岩田祥一、坪金亀太郎、細川安松、林田重生、山本誠一、中西某ら会社の幹部や社員が次々と逮捕され、千代田火災海上保険株式会社大阪支店社員中江某、代理店須田某らも逮捕され、工場が焼失したのは同社に火災保険料を一回支払つたに過ぎない時期であり、且つ前岡社長ら会社幹部と保険会社々員中江、代理店須田らが出火の翌日に早くも会合し、温泉旅館に同宿したことから保険金詐欺放火の容疑がかけられ、社長以下ほとんど全員が三〇日ないし六〇日近くも拘束されたこと。その間放火の嫌疑は拘束を受けた者ら全員に及び、その動機は保険金詐欺の疑いに置かれていた様子であるが、金森健士以外の者が拘束を解かれ始めた頃より嫌疑は金森健士一人に向けられるようになつたこと、そしてその端緒は保険金詐欺の疑いが薄れ、前記の日本帆布の女子工員の金森健士に似た後姿の男が朝鮮製綱の入口から工場内へ入るのを目撃したとの捜査官に対する供述を契機としてのことであることが窺える。

また乙第一号証によれば、金森健士は逮捕された当日より三日ほどの間は、釜山警察署において刑事より、後手に縛られて天井につり上げる等の拷問にあつたが、その後はほとんど取調べられることもなく経過してきたところ、他の者はみな釈放されたのに自分一人拘束を続けられることに対する不安と恐怖から、いま嘘の自白をしても公判では宣誓して真実を述べることによつて、これを覆えすことができると思い、留置されてから五九日目検事局へ送致される前日に、金森健士の方から自発的に、公訴事実に記載のような動機によつて放火した旨の自供をしたことが窺える。

右事実によれば、逮捕直後の数日釜山警察署において金森健士は拷問を受けたが、その後五〇数日を経過してなされた金森健士の自白は拷問に基づくものではないことが認められる。そして旧刑訴法(大正一一年法律七五号)の適用される本件では、刑訴法二五六条六項の適用はないから、捜査、予審の記録は、起訴状とともに第一審裁判所に提出され、控訴審においても控訴状とともに右記録の送付を受けて控訴審の裁判官の知り得るところであつたと考えられるから、金森健士の自白が逮捕後二ケ月近くも経てなされたこと、それ以前は一〇名を超える者が拘束されて保険金詐欺放火に重点が置かれてきた等の捜査の経過、自白の時期等についての前記事情は控訴審の裁判官に判明していたところと考えられる。

しかしながら右事情は、そのことだけでは金森健士の自白が任意性に欠けた信用性のないものとすることはできない。この点については前記のとおり金森健士の単独犯行に嫌疑が向けられ、自白の契機となつたと考えられる女子工員の目撃の供述の正確性について考察しなければならない。日本帆布の女子工員らの予審判事に対する供述調書の内容(同人らの捜査官に対する供述調書の内容についても同旨と思われる。)が、「事件当夜、正門を入つた構内中央の朝鮮製綱工場の入口の反対側にある製品倉庫の前あたりに立つていたとき、その朝鮮製綱の入口から中へ入ろうとする国民服を着た男の人の後姿を見た。その後姿が金森健士に似ていたので、金森健士は今時分なんであんなところに入るんだろうかと思つた。」というのであることは前記のとおりである。〈証拠〉によれば、右目撃した場所がうす暗かつた、電灯はついていたかの記憶がないとの供述もあり、また、電灯がついていたから後姿は確認できる状況であつたとの供述もあり、結局目撃した「その後姿が金森健士に似ていた」との事実が当時の証拠上どの程度に正確なものであつたかについてはこれを確認すべきものがない。しかし乙第一号証によれば金森健士は当時国防色の作業服を着ていたことが認められ、女子工員らは工場監督として日常金森健士に接し見なれていたところであり、また右供述は後姿が金森健士に間違いないと確言したものではないから、右目撃の供述に対する信憑力は当然その程度のものとして受けとめられたに違いなく、他の各証拠と相俟つて金森健士の自白に信憑力を認めたのであることは前記のとおりであるから、女子職員らの目撃の供述の信用性に些少の疑問が生ずるとしても未だ金森健士の自白に信用性なしとすることはできない。

また、被控訴人らは、出火点よりみて金森健士の自白は明らかに不合理であり信用しえないものであつたと主張する。前記のとおり金森健士の自白によれば放火の動機は日本帆布工場長小路梅市(〈証拠〉によれば同人は工場長ではなく職長のような立場であつた。)に対するえん恨により日本帆布工場の焼燬を図つたのであり、〈証拠〉によればその放火点が日本帆布の工場、建物より最も遠い朝鮮製綱工場内の奥であること、〈証拠〉によれば、朝鮮製綱の工場、建物は厚い煉瓦壁に囲繞されていたため日本帆布の工場建物、事務所、社宅は右壁に隔てられていること、本件火災時には朝鮮製綱の工場内にあつた油のドラム缶が多量に爆発して火勢が強く朝鮮製綱の工場は煉瓦壁のみを残して全焼したにもかかわらず、日本帆布の工場建物は板壁が燻焼した程度で類焼を免れたことがそれぞれ認められるが、火勢や消防活動の如何によつては右煉瓦壁があつても日本帆布への類焼は考えられ、その危険が全くないとは言えず、その他右放火位置であることによつて金森健士の自白が不合理であるとして挙示する事由(原判決九枚目裏一二行目より一〇枚目表九行目まで)はいずれも一応の推測に過ぎずいまだ自白に信用性がないと判断するに足らない。

(三)  以上考察してきたとおり、本件各証拠により推論しうる限りでは、本件公訴事実につき金森健士の有罪を認めうる証拠が存在したことが認められ、金森健士を有罪とするについて妨げとなる証拠が存在したとは認められないから、本件刑事第二審判決が金森健士を有罪と認定したことは、右判決の時点において、右第二審裁判所が蒐集し証拠調をなし得たと認めうる証拠に基づく限り、まことに相当であつて、右裁判所を構成する裁判官に事実誤認の過失があつたとは認められない。

もつとも、当時の刑事訴訟手続は前記旧刑事訴訟法によつたものであつて、同法は実体的真実主義職権主義を採つていたから、証拠の蒐集は検事や被告人の請求をまたず、裁判所は職権を以つて、これを行う職責を有したところ、本件第二審裁判所が、これ迄に説示して来た証拠以外に、いかなる証拠を蒐集したか、あるいはその証拠蒐集の責務を怠つたかについては、本件に顕れた全証拠によるも、これを推論しえないから、右第二審裁判所の裁判官に、この点に関する過失があつたと認めることはできない。

(本件刑事上告審判決について)

右のとおり本件刑事第二審判決に事実誤認の過失があつたとは言えないから、原審と同一判断に立ち、現場検証の申請を採用せず、上告棄却の判決を宣告した上告審の各裁判官にも何らの過失なく、その判決に違法があるとは言えない。

六結論

以上により被控訴人らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当であり、本件控訴は理由があるからこれと結論を異にする原判決を取消し、被控訴人らの請求を棄却し、民訴法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(喜多勝 林義雄 楠賢二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例